*書きたいところだけという作品がUPされているのを時々お見掛けするので、
冗長なお話ばっか書いてる身で、ちょっとやってみたくなりました。
よろしかったらお付き合いくださいませvv
*前半の佳境、切断負傷という痛いシーンがあります、ご容赦ください。
ヨコハマという街は実に多彩な顔を持っている。
観光地であったり、歴史的な遺物が多かったり、
祭りのような人出にたいそうにぎわっている雑踏もあれば、
閑散としていて忘れ去られているような煤けた操車場や倉庫群もあり。
華やかなショーウィンドウを誇らしげに飾った
有名店舗が並んだ街道沿いの街並みもあれば、
何処にでもありそうな生活道路に沿うた住宅街もあちこちに当たり前に点在し。
そうかと思えば坂道の途中から望めるのは、
沖合の海面が砂金を散らしたみたいにキラキラして見える海と、
港の一角、大型の貨物船が横付けした埠頭と、恐竜の骨格みたいなクレーン設備。
まだまだ発展する余地はいくらでもある、未来都市でありながら、
裏社会へ通じるくすんだ路地裏が、そこここでぽっかりと口を開けているよな、
誰彼構わず おいでおいでと闇へと誘う、危険な誘惑の香がする“魔都”でもある。
「…あれ?」
とある事件への聞き込みにと、
情報を持ってそうな層がたむろする市中のあちこちで、
ちょっと良いですか?と声を掛けて回っていた虎くん、もとい、敦少年だったが。
太宰さんから “適当にお昼ごはん食べるんだよ”と言われていたので、
定食屋もないことだしと目に付いたコンビニへ足を運ぶ途中。
何てことないビルとビルの隙間、
敷地ギリギリまで建物が塞いだ末のなけなしの空間、
ガスや電気のメーターが設置されていようだけのよな
ずんと か細い路地に、
微妙な存在感のある“陰”を感じて つと足が止まった。
じいっと見やっておれば、靄のような影がひらひら泳ぐように揺らめき始め。
「? …ああ。」
合点がいってしまう自分へ、小さく苦笑しておれば、
つむじ風のように素早い何かが、地べたを這って来たそのまま、
ひょっと跳ね上がってこちらの頬をサクッと掠め、肩の向こうへと抜けてったものだから、
「…何でそうも、むかつくちょっかい出すかなぁ。」
「気づいたくせに躊躇する貴様が悪い。」
そういう時間帯か、
店の片側が接する幹線道路へ、裏手で交わる格好の生活道路には人通りもない。
そこへこつりと堅い靴音をさせ、
真っ黒な外套に痩躯を包んだ、顔見知りの青年が姿を現す。
「人見知りか?」
「愚鈍なことを。」
冬さむの午後とはいえ まだまだ陽の高いうちに、
結構な役付きだろうこの青年が、単身でこんな日常的な場にいるのは、
何と言うのか、かなり無理みな違和感がしないでもなくて。
“せめて普段着ならともかく。”
真っ黒なボトムに真っ黒な外套、
襟元から覗くのはひらりとフリルのようにブラウジングされたサテンの領巾…と来て。
まさかとは思うがどこかで上演中の舞台衣装か、はたまた厨二病をこじらせたコスプレか。
なまじ整った顔立ちだから余計に痛々しく映るのが皮肉なもので。
もしかして人目を引くのが判っていたからそんなややこしいところへ潜んでいたのかなぁなんて。
知り合いだからか、それとも不意打ちで手痛い挨拶を寄越されたことへの意趣返しか、
容赦のない感慨を胸中にて展開させつつ、
「どうしたんだ?」
非番の日でもない限り、原則 慣れ合うのはよろしくないことくらいは敦も承知。
一応は軍警からの依頼も受ける“武装探偵社”の人間が、
表向きの社名はともかく、犯罪組織として名高い“ポートマフィア”の構成員、
いやさ、遊撃隊の長と親し気に談笑している図なんて、どのような由々しき憶測を招くやら。
とはいえ、だからといって無下に袖に出来よう間柄や相性でなし、
どちらかといや彼の側こそそういう機微には慎重なはずなのだから、
それがこうして姿を見せたなんて、と。
そのくらいは何かあったかとの勘を回し、敦の側からも水を向ければ、
「…行方不明者が出てはないか?」
「……えっと。」
虚を突かれると誤魔化しが追い付かないのは相変わらずで。
油断したからか、それとも単に未熟だからか、
弟分の何とも判りやすい反応へ、苦笑交じりに吐息をついて見せた芥川だったが、
「依頼なら深くまでは訊かぬがな。ただ、」
無暗に口外しちゃあいけないよと、選りにも選って接近してきた側に諭された挙句、
「貴様も気をつけろ。」
硯石のような漆黒の双眸が、きりりと鋭く虎の子の目を射る。
外套のポケットへ両の手を納めたまま、
細い背条を弓なりに伸ばしている痩躯には、さほどに威嚇の気配はなかったけれど。
冗談ごとではないからとの真摯な言いようらしいというのは、
それなりの付き合いの長さと深さからようよう知れて。
「お前もって、」
一応は荒事を色々くぐり抜けてる身なんだけれど。
そんなにボクって庇いたくなる?
そんなひ弱?
お前のこと殴り飛ばして鎮めたことあるよね?などなどと、
ついつい言い返したくなったれど。
“…あ。”
ああもしかして。
自分が訊き込みしている小学生の失踪事件、実はそうそう単純な案件じゃあないのかも?
受験本番を前にプレッシャーに負けて家出したのかもなんて、
仲のいいお友達と一緒に戻ってこないの、親御さんたちが案じていらしたのだけど。
「えっと…。」
「それだけだ。」
それ以上は語らぬ聞かぬということか、
それは素っ気なくもふいっと背中を向けて立ち去りかかる、細くて黒い背中へ、
「太宰さんへ伝えた方がいいのかな。」
「……。好きにしろ。」
メールでだと記録が残る。
情報漏洩はポートマフィアの人間としてもご法度な行為だろうし、
それでと直接、警戒しろよと敦くんへ告げに来た彼なのか。
あれ?
でもでも、太宰さんって
ヨコハマに居る限りは芥川の居場所をちゃんと把握していて、
ほぼ毎日、お迎えに行ってるって話じゃなかったっけ?
「それがね。」
いちいち自宅へ戻らぬままの、短期集中の情報収集任務中という身であるらしくてね、と。
聞き込みの結果を擦り合わせるべく、待ち合わせた太宰へ思いがけない邂逅の旨を話せば、
おやまあと目を見張ってからそうと教えてくれて。
「敦くんへも気をつけろなんて。」
頼りない奴だからというのなら、本人へは言わずにもっと確実な包囲網を構えやしないか。
そも、彼が訊いたのは“行方不明者”に関してだ。
敦自身もふと思いが至ったように、
彼らが携わる“小学生失踪事件”はもっと別に根がある事態なのだろか。
「誘拐、ということなのだろうかね。」
「ですが、犯人らしい存在からの接近の気配はないようですし。」
身代金を用意しろとか、警察へは届けるなとか、
そういう手合いの要求を突きつけるよな接触はない。
ないからこそ自発的な失踪かもと親御も案じているのだが、
「攫われた子たちそのものへ用向きがあったとしたら?」
「…あ。」
犯行中やら取り引き中なんてな不味いところを目撃されたとか、
子供という存在欲しやな人から これこれこういう年恰好の子をと依頼されてとか。
「…それとも。」
そこまで口にした太宰が、おおうと何やら寒気を感じている敦を見やり、
何か思いついたらしいお顔になったものの、
「どうしたんですか、何か思い当たったとか?」
訊かれると、思わせぶりに目許を弧にしてしまう美丈夫様。
「う~ん、敦くんにはナイショ、かな?」
「ええ~~~~っ?」
◇◇◇
失踪 or 行方不明というのは、実はなかなか表立った事件になりにくい。
子供であれば、それこそ夜が更けても戻って来ませんというだけで
家人らが放ってはおかぬ、近在を探し回りの警察へ届けのするが。
やや大人、もう大人、という年代は、
何か所用があって遅いのだろうとか、連絡くらいしてよね・ぷんぷんとか、
ちょっと平生と違うだけと受け取られ、そうそうすぐには不審がられぬ。
一人暮らしともなりゃ、
数日顔見ないな、ラインも止まってるよねという段階まで至らねば気づかれぬ。
また、警察に届けても、自発的な失踪の可能性も有りとされ、
身元不明の遺体や意識不明の人が収容でもされぬ限り、
警察もお忙しいので、積極的には捜索も照合もされぬとも聞く。
万が一、誘拐された、若しくは怪我して動けぬという場合でも、
子供と違って頑張れば自力で何とでも出来ようと思われるのだろうか。
「…というわけで、依頼があった以外にも、失踪した人が出てないか。
ヨコハマ全域級で、失踪届が出ているものから学生さんのラインまで、
様々な情報を精査したところ、5日以上姿を見ないとされている人が驚くほどいてね。」
ウチも警察と同じで暇ではないから、正式な届をされているものは省いての、
お友達の間で姿を見ない級とか、ざっと捌いてみたらね、
「いなくなった人のうち、若い子や子供ほど、何やらこそこそしている傾向があって。」
不思議体験したんだなんて吹聴している子もいれば、
ちょいと友達付き合いが悪くなった子もいて。
わが社へ依頼があったAくんとBくんも、急に彼らだけで行動するよになってたらしくて。
「そこへ、敦くんにも気をつけろという忠告を重ねると。」
まさかまさか。そう。
どうやら、異能を持つ存在が神隠しにあっているのでは、と。
「少なくともポートマフィアでは、
そうと思わざるを得ない失踪事件が相次いでいるんだろうねぇ。」
なので、芥川らが手分けして、
消息を絶った構成員の足取りやら、周辺の噂などを調べて回っているのらしく。
「構成員の中だけでも、結構な数を把握されているのでしょう?」
そうという使い道しかないわけじゃあないが、
文字通りの“リーサル・ウェポン”だけに、
裏社会でもより多くの異能者を抱えている組織といえ。
貧民街やその他、それが原因で不幸に襲われた家庭などから攫ってしまうなど、
どんな強硬な手段も辞さずにかき集めたというから、
子供の失踪も無視は出来ない情報なのだろうが。
「…でも、普通一般の家庭の子が異能を持ってたなんて、
どうやって調べたんでしょうね。」
こういった情報を手繰る手筈に長けている太宰が手をつけた結果でさえ、
かも知れぬという想像の域を出ない不確定なそれだというに。
高校生やら成人もいるような被害者たちは、
少なくとも姿を消す直前まで、そういう特殊な身だとは知られてはなかったという。
一体どうやって、そんな彼らを標的と見做したのだろうか。
そして、掻っ攫うにしても、潜伏し続けるにしても、
それなりの準備や資金、人手も要るだろに、
大きに骨折り仕事をこなしたその上で、異能者を攫ってそれからどうするのか。
「まさかに、善意のNPOでも立ち上げるって話じゃなかろうしね。」
というか、異能と一口に言ったって様々に異なるはずで、
中也のようなタイプや、敦くんみたいなタイプ、芥川くんみたいなタイプがいたら、
それぞれに対処法が違うのだろから、拘束も留置も手がかかって大変だろに。
どうやって、身柄確保できているんだ?
「その例えなら、太宰さんがおとりに立てば問題ないかも。」
「…敦くん?」
どうして一手にかき集めているんだろうか。
「まさかポートマフィアへ一括で卸すとか。」
「太宰さん…。」
お互いに真剣な顔でそんな頓珍漢なことを言い合っていては世話はなくて。(こらこら)
◇◇◇
わざわざ敦くんへ忠告をした芥川だったのは、
そちらの調べはさすがにもう一歩ほど進んでいたからで。
失踪した構成員のうち、自身が異能者だという自覚がなかった顔ぶれも結構いたらしく。
【何の話だ。俺はそんな異能なんぞ…。】
【気がついてないだけですよ。あなたは手のひらに高熱を起こせる異能者だ。】
【莫迦なことを、…な、何っ!】
防犯カメラで収集した情報の中に、微妙な会話が収録されており。
どうやら相手は、本人でさえ気づいていない異能を掘り起こしたうえで連れ去っているようで。
「異能を見抜く異能ってことですか?」
「修羅場での火力としては役に立たないかも知れないが、
どうしてどうして、どいつがどういう傾向の異能者か前もって判るってのは強みだよ。」
キミらのように名を馳せている子はともかく、
初対面の相手が何を繰り出すかなんて、まずは判らないからねぇと。
中也や芥川を前にした首領が他人事のように愉快愉快と口にして、
「今回はそれを駆使して、
文字通りの掘り出し物を発掘しまくってる無法者が跋扈横行しているようだってわけだ。」
「ですが。」
中也が小首を傾げ、
「相手の異能が判ったとして、
相手もまた、実は知ってて隠してた、使いこなせる奴もいるかもしれません。」
さすがは現場での実働担当が多い幹部殿で、
別な観点から気になったことがあったらしく。
丁度、奇しくも太宰も腑に落ちないとしていた点で。
「そうだねぇ。どうやって各個に対処して捕縛しているのかが不思議だよねぇ。」
ただ見抜く異能者だけじゃあないのかもしれない。
別の、身柄確保に向いている異能者もいるものか、
あるいは中也くんのように体術に長けている捕縛担当がいるのかなぁ。
「ただね、まさかにそうやって集めた異能者を
商品扱いして“売買”しているというのなら、これは看過できない話だよねぇ。」
森が首領となった現在、
様々な非合法取引やら犯罪行為やらに手を染めているものの、
人身売買と麻薬だけはご法度としているポートマフィアであり。
医師としての良心に抵触する云々なんてな高潔な理由からじゃあなく、
どれほど金を産もうとも、端々までの管理が面倒で
結果、混乱しか生まない厄介なジャンルだからと、あっさりしたもの。
「引き続き、調査のほう頼むよ、二人とも。」
「はい。」
上級幹部格が二人で当たっているのも、放置してはおけぬ事案だからで、
とはいえ、そうそう他の構成員へ漏らして広めていい話でもないから致し方がなく。
「敦に逢えねぇのが堪えるよなぁ。」
部外秘なのは勿論だし、
もしやせずとも、武装探偵社でも似たような事案を扱っている恐れがあり。
ついつい話を深掘りしてしまい、何かあったのかと疑われ、
そこからの藪蛇にならないとも限らない。
「……。」
「芥川?」
無言でも相槌の気配はあった相方が、ふいにしんと黙りこくったものだから、
中也が細い眉を吊り上げて
自分より長身となってしまった後輩の白い顔を怪訝そうにのぞき込み。
「…まさか、青鯖に何かこぼしてねぇだろな。」
「太宰さんをそのように呼ぶのは辞めていただきたいのですが。」
「太宰のことだと判るのならいいじゃねぇか。」
あいつなんざ、敦にまで俺ンこと“蛞蝓”で通じさせてやがるんだぞと、
話が逸れたのを幸いに、
“…忠告はしたのだ、重々用心するとは思うのだが。”
ただ、あまりに断片しかこぼさなんだので、
あの幼き少年には何のことやらと扱いかねられ、判じは無理やもしれぬかと。
通じてなくてもそれはそれ、周囲には頼もしい面々がいるのだから、
問題あるまいと杞憂を振り払い、改めての訊き込み調査にと向かう彼らなのだった。
◇◇◇
ところが、そんな杞憂が真の危急を招いてしまう。
気になる言いようを言い残した芥川だというのが頭から離れなんだ敦は、
廃ドックが放置された港の外れ、場末の工場跡にその姿を見つけて後を追ってしまい。
そちらはかなりのヒントを得ていて乗り込んでいた芥川だったため、
拉致の実行犯との対峙となった場へ、思わぬ闖入となった敦にやや動揺。
「おやおや、これはまた、珍しい異能の持ち主のようですね。」
匿名で“貴様らの企みは押さえているぞ”という趣旨の電子書簡で呼び出した相手だが、
屋根もほぼ落ちた廃工場の三和土にそれぞれ立ちはだかってのご対面の最中、
不意に、自分の後方へと視線を流してそんな言いようをされ。
何の話だと肩越しに振り返れば、
「……っ。人虎。」
「え?」
何でその人、僕が異能者だと知ってるの?と、キョトンとした虎の子くんに、
不味いなと思いつつも相手の絡繰りの一端が此処で読めた。
“そうか、此奴が相手の異能が見て取れる異能者か。”
しかも、
「貴様には関係のない場だ。さっさと立ち去れ、」
険しい顔で追い払おうと怒鳴った呼吸、
さすがに彼の側も何やら察したように表情を冴えさせたものの、
「……っ!」
敦がその身を何故だか固まらせてしまう。
「な、何でだろ、動けない。」
「…っ!」
人により異能の種はそれぞれで、
力づくでは止められぬ者もいよう、手を触れもせでこちらを吹き飛ばすものもいように、
どうやってさしたる騒ぎも起こさず各人を略取できているのかの答えが、
「私の“金縛りの目”の力の虜になったからさ。」
もう一人、別の男が積み上げられていた廃材の陰から姿を現す。
「綺麗な眼だねぇ。あんたのような子は、異能抜きでも良い値が付きそうだ。」
舌なめずりでもしたいかのような、粘着質な口調で言う彼の言の上へ重なって、
バタバタバタバタと何か叩くような音が鳴り響き。
皆の上へと旋風を伴った黒い影が舞い降りる。やや上空の頭上とどまったそれこそは、
「垂直離着陸機 (ヴィトール) か?」
滑走路も要らぬ、小回りの利く飛行艇。
戦術用輸送用に用いられる中型ヘリのようなそれが、
この工場の破れた天井へ真上から爆風と共に下降しつつあり、
「ポートマフィアの殺戮の君と、そちらは虎の異能の君か。」
「これは上々の獲物じゃあないか。」
工場の中の空気をすべて掻き回すような暴風の中、
慣れているのか相手方の男二人は薄気味悪くもその双眸を見開いてこちらを見据えており。
“そうか、視線か。”
まさかに、太宰のような異能無効化ではないらしかったが、
それでも敦が動けないのは体の自由を封じられているからで。
ならばと黒獣をほとばしらせて、双方の間に障壁を張りかけたものの、
「…、ぐ。」
集中や警戒が散った僅かな瞬間刹那を見逃すようでは、
これまでのような鮮やかな誘拐はこなせぬか。
敦の方へと注意が逸れた隙を突き、
「貴方にはこれを。」
ついと伸ばされた手の先には、ローターが散り散りに砕く陽光を浴びて煌めく玻璃の影。
小さめの注射器がなめらかな所作にて突き付けられて、
黒衣の主が目を見張る。
無防備にさらしたつもりはないがそれでも警戒の中を描いくぐった凶器が、
小さな脅威として外套の襟越しにその首へ突き立って。
「芥川っ!」
即効性の薬品を投与されたか、
がくりと頽れる黒の青年の痩躯へ、動けないはずの敦が手を伸ばす。
おやと意外そうな顔をしたのも束の間、こちらの青年に捕まって付いてくるなら重畳と、
手前でうずくまる痩躯の腰、外套のベルトを掴んで引き上げ、
梯子が下ろされたヴィトールへ乗り込まんとする男らで。
「…放せ、人虎。」
この子まで浚われては何にもならぬと、
腕を振り払おうとするも、意識が朦朧としてきたその上、力の差は歴然で。
意地になって離さない敦の顔を見下ろしていたものの、
ぶら下がったまま、釣り上げられてく二人になりかかったところで、
黒い何かが疾風の中を一閃し。
「な…っ!!」
覚えのある冷たい衝撃と、それを追って塗りつぶす灼熱と激痛と。
初対面の場で右脚を切り落とされたあの衝撃が、
同じ兄人へしゃにむに掴まっていた右手首を焼く。
気がふれそうな激痛よりも、
何も掴めぬ身、もがく手が失われた虚無感が喉を焼き、
間近に見合っていた射干玉の双眸が、どこか寂しそうに瞬いたのが辛い。
「…。」
謝る気もない、永別の辞もない、
だが、笑うでなし怒るでなし、安堵に似た寂しい顔だったのへ。
ヴィトールのローターの爆音に掻き消されつつも
「~~~~っ!!」
意味のない怒号、大声で叫んだ。
其れしか出来なかったから。口惜しくて悔しくて、言葉にならない。
殴り合いになったら てんで強くないくせに、
辛くても目を逸らさずにいる、芯の強い人。
こんなやり方して、なのに途方もなく優しい貌するなんて…
無情な真似を平然ととった芥川にも、強引な拉致なぞ企んだ不逞な輩にも、
白銀の髪や頬、鮮血に汚しつつ、落ちてゆくばかりの間抜けな自分にも。
見えるものすべて砕けよとばかりに声張り上げたが、
その身は虚しくもただ宙を落ちてゆくばかりで。
ああ、途轍もない激痛を掻き回して、
右手が勝手にぐちぐちともがいて新しい骨や肉が生成されている。
早く出来上がれ、早く早く。
「…はやくっ。」
視野の中どんどん遠ざかる彼から目が離せない。
風に揺れる外套が漆黒の何か花のようで、
ずっとこちらだけを見据えてた彼の顔が小さく遠くなってゆく。
一気に結構な高さまで飛び上がっていたものか、
相手の腕へ掴まってたそこを、文字通りバッサリ落とされたにしては
いつまでもその身が床へ叩きつけられず。
噴き上がるよに沸き出す血にまみれた腕、いつの間にか大きな手が掴んでいて、
「敦くんっ、しっかりしたまえっ。」
「あ…。」
叩きつけられる衝撃が来なかったのは、間一髪で受け留められていたからで。
「太宰さん…。」
案じるよう、こちらを真摯に見下ろす大人の、それは落ち着いた端正な顔に、
こちらはますますと頑是ない子供のように喉が干上がって、申し訳なくて涙が止まらぬ。
この人の大事な人を、みすみす連れ去られた。
しかもあの練達にそんな隙を作らせたのは、自分を庇ってのこと。
「芥川が…。」
「ああ、あのヴィトールだね?」
何処から観ていたものか、いづれにせよ、
見えてはいても届かなんだ惨劇に、彼もまたその胸中は憤怒に焼けているに違いなく。
依然吹き荒れる強い風に、蓬髪を掻き乱されつつも、
表情はやや硬いのがありありと伺える。
「早く追わなくては…っ。」
長すぎる袖口から指先が出てくるような、
すっぱり落とされたらしき傷口の生々しさが
やっとのこと皮膚に覆われた様相の右の手を押さえつつ、
大儀そうに身を起こす虎の子へ、
「敦くんは此処に居なさい。」
「…っ!」
置いてくのは忍びないけど、すぐにも中也が来るから一緒に来なさい。
「……っ。」
必死でかぶりを振って縋るが、その手を上から押さえ、
太宰はそれを許可しようとせず、
「ダメ。完全に復活させてから来なさい。でないとあの子も納得しない。」
低められた声は落ち着いたそれだが、
その双眸には光が宿らず、底冷えしそうな冷たさで。
そんな彼へは逆らえず、ううと言い淀んだ敦だったが、
「…見失わず、絶対追いついてください。」
見上げた彼の肩の向こう、
虎の視覚にはまだ見えているゴマ粒のようなヴィトールを
そのまま貼り付けておきたいように言いつのった少年へ、
「任せて。」
しっかと頷いた、頼もしき教育係さんだった。
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